このブログは、管理人さくら♪一信徒(日蓮正宗)によるものであり 内容の一切については宗教法人・日蓮正宗とは無関係です.

2016年07月12日

国立戒壇論についてセロリさんのページ紹介

『顕正会員との話し合い。』のページにて

セロリさんよりコメントを頂き、顕正会の誤りについて参考に教えていただきましたので、詳しく載っているページをご紹介させていただきます。

「国教」と「国立戒壇」は似ている!(国立戒壇シリーズ16)

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」の191ページには、「国立戒壇といっても国費で立てるという意味ではない」との主旨の発言がありますので、その顕正会員は浅井会長の国立戒壇論を否定していることになると思います。


戒壇建立のプロセスはハッキリ決めておくべきなのか?(国立戒壇 シリーズその9)

また、「御遺命の戒壇建立の具体的なプロセスは明確でなければならない」という考え方は、顕正会員ならではですよね。
戒壇論について盛んに論議がされるようになったのは近代のことで、明治以前の御法主上人の具体的な発言はありませんよね。もちろん「国立戒壇」の名称も。

セロリさん、ありがとうございます♪

posted by さくら♪ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 顕正会について | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

顕正会員との話し合い。

先日、二人組の真面目な顕正会員が法華講員Sさんの母親の家を訪問していると、Sさんより話が入り話す機会がありました。

いろいろ話すも平行線のままで最後は「私達は浅井先生を信じていますから」大丈夫ですと言うばかりです。
しかし、浅井先生は僧侶でもないし血脈だって受け継いでいる訳でもないのに、本当に正しいって言えるのでしょうか、という問いには無言でした。

そして、話は「国立戒壇の主張」を切り札にしてきました。

その顕正会員によると、国主である天皇が大聖人様の正法を信仰をして国費でもって天母山に立てるのが国立戒壇建立だと言いました。

しかし、民主主義の現在の国主は国民一人ひとりではないでしょうか、また国に任せっきりもかなり危険なことですよね。もし天皇の気が変わって信仰をやめれば国費で建てものはどうなってしまうのか考えただけでも危ないです。

また天皇が正法を信仰し国民全員に命令しても、信仰の自由の名のもとに皆がするとも思えません。

そして、天母山説も無理があり、現在の天母山の場所には邪宗の天母山法華道場が立っており、ゴミ処理場もあり不浄の地ですよと言うと、今はそうでも将来は清くなるのだと言うので、現在の大石寺こそ日興上人様が選ばれた最勝の地であり、この聖地こそ将来の戒壇建立にふさわしい地ですよと言いましたが、やはり平行線になってしまいました。

更に顕正会員は宗門での戒壇建立がどうなるのかを聞いてきましたので、国民の大多数が正法を信仰し広宣流布が達成した後に戒壇建立がされるのだと言うと、具体的にどうゆう方法なのかと問うので、現時点ではまだまだ広宣流布には遠いし、その時代がくれば、その時の猊下様の御指南で決まると話しましたが、元より顕正会員には猊下様の御指南の意味や仏・法・僧の三宝を正しく敬えないのですから、なかなか理解していただけないのだと思いました。


「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。 三宝一体なる故なり」(真言見聞 新編608)
                        
三宝一体より法を謗ることは同時に仏や僧を謗ることであり僧を謗るとは同時に仏と法を謗ることになると、厳しく誡められています。


【仏宝】…日蓮大聖人様
 
「仏・世尊は実語の人なり、故に聖人・大人(だいにん)と号す」(開目抄)
「日蓮は日本国の諸人に主師父母なり」(開目抄)
日蓮大聖人様は主師親の三徳を具えた御本仏です。
末法の人々を庇護(ひご)し(主の徳)、教え導き(師の徳)、養育(親の徳)して下さります。

【法宝】…本門戒壇の大御本尊様

日蓮大聖人様は、末法の人々を成仏得道するべく、出世の本懐として本門戒壇の大御本尊様を顕わせられました。(弘安2年10月12日)
 
【僧宝】…第二祖日興上人

日興上人をはじめ血脈相承を受けられた御歴代上人及び広い意味では、日蓮正宗の御僧侶。
 
「仏宝・法宝は必ず僧によって住す」(四恩抄)
仏の徳とその教えは、僧侶によって後世まで伝えられると申されています。
posted by さくら♪ at 23:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 顕正会について | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

7月1日の御経日参詣

7月1日の御経日参詣

7月は総本山並びに全国末寺においての唱題行の月です。
菩提寺でも9時より1時間の唱題の後、永代供養が執り行われ参詣しました。

お塔婆を立てて先祖供養を正法(日蓮正宗)で出来ることは本当の供養であり何よりも有り難いことです。

塔婆供養は必要無いなどと、創価学会、顕正会では言ってますが、日蓮大聖人様が塔婆供養をするように御指南していらっしゃることを知るべきです。
また、どちらも破門される前は塔婆供養をしていたんですよね…。

「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(御書522)
「此の子そとば(卒塔婆)に此の木をつくり、父の供養のためにた(建)て、てむ(手向)けりと見へたり。日蓮も又かくの如くあるべきか」(御書1360)
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草木成仏口決 文永九年二月二〇日 五一歳

問うて云はく、草木成仏とは有情非情の中何れぞや。答へて云はく、草木成仏とは非情の成仏なり。
問うて云はく、情・非情共に今経に於いて成仏するや。答へて云はく、爾(しか)なり。
問うて云はく、証文如何。答へて云はく、妙法蓮華経是なり。妙法とは有情の成仏なり、
蓮華とは非情の成仏なり。有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死の成仏と云ふが有情・非情の成仏の事なり。
其の故は、我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。
止観の一に云はく「一色一香中道に非ざること無し」と。妙楽云はく「然も亦(また)共に色香中道を許す。無情仏性惑耳驚心(わくにきょうしん)す」と。
此の一色とは、五色の中には何れの色ぞや、青・黄・赤・白・黒の五色を一色と釈せり。一とは法性なり、爰(ここ)を以て妙楽は色香中道と釈せり。天台大師も無非中道といへり。一色一香の一は、二三相対の一には非ざるなり。中道法性をさいして一と云うなり。所詮十界・三千・依正等をそなへずと云ふ事なし。此の色香は草木成仏成り。是即ち蓮華の成仏なり。色香と蓮華とは、言はかはれども草木成仏の事なり。
口決に云はく「草にも木にも成る仏なり」云云。此の意は、草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり。経に云はく「如来秘密神通之力」云云。
法界は釈迦如来の御身に非ずと云ふ事なし。理の顕本は死を表はす、妙法と顕はる。事の顕本は生を表はす、蓮華と顕はる。
理の顕本は死にて有情をつかさどる。事の顕本は生にして非情をつかさどる。我等衆生のため依怙・依託なるは非情のがなりたるなり、我等衆生の言語・音声(おんじょう)、生の位には、妙法が有情となりぬるなり。我等一身の上には有情非情具足せり。
爪と髪とは非情なり。きるにもいたまず、其の外は有情なれば切るにもいたみ、くるしむなり。一身所具の有情非情なり。此の有情非情、十如是の因果の二法を具足せり。衆生世間・五陰世間・国土世間、此の三世間有情非情なり。一年三千の法門をふりすゝぎたてたるは大曼荼羅なり。
当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。天台・妙楽・伝教、内にはかがみさせ給はず。一色一香とのゝしり感惑耳驚心とさゝやき給ひて、妙法蓮華と云ふべきを円頓止観とかへさせ給ひき。されば草木成仏は死人の成仏なり。此等の法門は知る人すくなきなり。
所詮妙法蓮華経をしらざる故に迷ふところの法門なり。敢へて忘失する事なかれ。恐々謹言。
posted by さくら♪ at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 2016年の御経日+御講日 | 更新情報をチェックする
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