このブログは、管理人さくら♪一信徒(日蓮正宗)によるものであり 内容の一切については宗教法人・日蓮正宗とは無関係です.

2015年10月16日

2015年10月の登山参詣

10月は6日に引き続き12日にも添書登山をさせて頂きました♪

この日は栃木メンバー2名、静岡メンバー4名、茨城メンバー1名の合計7名が添書にて合流し皆で楽しくご登山をさせていただけた有難い日でした♪

私とKさんは丑寅勤行より参加させていただいたのですが、この日は海外の方が多かったです。

丑寅勤行が終わり車で仮眠したのですが明け方は結構冷え込み寒かったです。
早朝に富士山を見ましたら、頂上は初雪で真っ白になっていました。
昨年より11日ほど早い初雪になったようです。

日中は雲一つなく抜けるような青空に雄大で美しい富士山を望むことができました♪
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この絶景スポットはHさんに教えていただき撮影しました♪

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妙鏡池の逆さ富士も絶景♪
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布教講演参加『富士の流儀と御命題成就の信心』と題して、10月11月の御会式の時節に合わせたお話と大聖人様が弘安5年10月13日に御入滅され末法今時に本門戒壇の大御本尊様として厳然と現された大聖人様の三世常住のお祝いの意義から日蓮大聖人様の御一生は立正安国論に始まり立正安国論に終わると申され大聖人様の根本精神の如く、私達の信心も御命題達成目指し唱題、異体同心、折伏の実践行動、育成と御本尊様の功徳を広める慈悲行の信心をご教授頂きました。

私の登山回数は42回目となりました。
また、10月19日にも添書登山させて頂くことになりました。(^^♪
posted by さくら♪ at 02:45| Comment(6) | TrackBack(0) | 大石寺へ登山参詣 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。ブログ拝見させて頂きました。登山に励んでおられるのですね。素晴らしいことだと思います。自分も今まで三〇回ぐらい支部登山はしていると思いますが、高速バスに乗って、朝5時ぐらいに着山して、疲れと眠気と戦いながら…(^_^;)

けど登山に行って、何か変わったんだろう?ってふと思います。登山だけしていればイイというものではないんでしょうが、理屈では登山や参詣などいろいろ説かれているのは分かります。

けど登山に行って、何が変わったんだろう?ってふと思います。お目通りすることが無始以来の罪障消滅になるとはいつも聞いていますが、いわゆる御開扉を受けて、何が変わったんだろう?っていつも思ってしまいます。

さくら様は登山に行く度に変化を感じることってありますか?



Posted by 通りすがり at 2015年10月25日 14:43
通りすがりさん、コメント有難うございます♪

通りすがりさんは、疲れと眠気と戦いながらと言いながらも、また登山をしたくなっちゃうのではないでしょうか?

無始以来の罪障消滅、大聖人様へお目通りをさせて頂ける喜びと感謝の気持ちを知っているからもあると思いますが、

私は理屈よりも、総本山にいらっしゃる大聖人様にお会いしたい気持ちが強く、清々しい総本山の空気を吸うと全てが浄化されるような清らかな気持ちを登山の度に感じるのです。

御開扉を受けた時の気持ちは言葉で言い表すのは難しいのですが、自分では知り得ない過去の罪障が許される思いや全てが感謝の気持ちに溢れ涙が流れ出てしまう不思議な感覚が自分の命なのかと思ったりします。

また、登山後はいつもより体が軽く元気になりますが、自分の悪い部分が出てきたりもします。

多分、罪障が出てくるのではないかと思います。それは、登山回数を重ねる度に強くなってくるから不思議ですが、今のところ私も43回の登山なので、今後どう変わるのか楽しみです♪

通りすがりさんもまたお立ち寄りの際にコメントくださいね(^_-)-☆
Posted by さくら♪ at 2015年10月27日 02:15
さくら様、丁寧に返事返して頂いてありがとうございました。お言葉に甘えて、図々しくもお立ち寄りさせて頂きました。

どうなのでしょうね。自分の場合は率直に言いますと、もともと信心に対してはさほど熱心ではないほうです。ただなんとなく登山に行っている感じです。

あまり深く考えずに夜行高速バスに乗られながら、眠いながらも朝着山して、さほど深い意味も分からず、御開扉受けては、毎年毎年こんなおんなじことを繰り返しているだけで、一体何が変わるんやろなぁ?といっつも毎回毎回思ってました。こんな事で本気で変わると思っているんなら、頭おかしいと違うのかなぁ?と心配に感じている自分がいます。

命がスッキリとか言うけれど、それはお山の空気がキレイだから、スッキリするのと違うのかなぁ?命が喜ぶとか命がスッキリするとか、体がスッキリするとか言うけれど、それって、なんだか感覚的なことなので、自分としてはいまいちピンと来ない感じです。罪障消滅とかどこで分かるんだろう?よく御僧侶さんは折伏しなければならない。折伏は出来る人がやればいいというものではなく、折伏はやらなければならないものだ。与同罪とか言うけれど、なんでかなぁ?とかいろいろ疑問に感じてしまいます。

さくらさんは罪障消滅とおっしゃいますが、罪障消滅ってどこで分かるのでしょう?例えば折伏で悪口を言われたら命の罪障消滅になって、生活上に変化が現れてきたというのがあるのでしょうか?

実感として、ピンと来ない感じでいつも迷っております。
Posted by 通りすがり at 2015年10月27日 19:55
通りすがりさん、返信が遅れましてすみません。。

信心の受け止め方は人それぞれ違って当然のことですし、何が変わるんだろう?と思うのも正直な気持ちですよね。

しかし、実感がない、迷っている、ということは、凄く勿体無いことですよ〜。
うちのご住職様はよく、功徳を賜る信心をしてくださいと言われますが、その通りと思います。

私も以前は変わってるのかな?と思った時がありましたが、日々の勤行唱題で生き生きとしてきて、考えが前向きになり、困ったことがあっても必ず良い結果へ向いていることが何度もあり疑いようがないのです。

生命は永遠といえども、今世は一度限り、来世を思うならば、今やるべきことをやって結果を出せば良いと思いませんか?

もちろん、その功徳を賜る信心には1信2行3学と、ここで私が言っても、通りすがりさんが体験することが一番の説得力になると思います。

大聖人様の教えを知った限りには一生懸命にやってみるだけですよ!

「此の本法を受持するは信の一字なり。元品の無明゛を対治する利剣は信の一字なり。無疑曰信の釈之を思ふべし云云」(御義口伝一七六四頁)
とあるように御本尊に対する絶対信こそ、心の根本の迷い(元品の無明)を退治する利剣(煩悩や邪悪なものを打ち破る仏法や智慧のこと)と仰せられています。

迷いながら信心していては、いつまで経っても真の功徳を感じることが出来ないと思います^^

何となく登山というのも、海外信徒さん達にしたら、一生に一度の登山も難しい人もいる事を思うと私達はさほど苦労なく登山できる福徳に感謝しな

ければならないと思いますよ^^
また、総本山でスッキリするのは、もちろんキレイな空気もありますが、「総本山大石寺は信仰の根本霊場」と言われていることにあると思います。
なんと言っても、戒壇の大御本尊様=大聖人様がいらっしゃるからね(^_-)-☆

以下抜粋分を参考に載せておきますね。
***********
言うまでもなく、日蓮大聖人の仏法の基本は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法にある。私達の幸せも、世界平和も、すべてこの三大秘法を受持信行するところに成就するのである。三大秘法の根本は、本門の本尊、すなわち総本山の正本堂(※当時)に御安置されている弘安2年10月12日御顕示の、本門戒壇の大御本尊である。この大御本尊の御内拝を御法主上人にお許しいただいて、人御本尊にお目通りできることは、真に三大秘法を受持することに当たるのであって、今生(こんじょう)で人間と生まれた最高の幸せ、未来世にわたる大功徳の源となるのである。また、この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が『経王殿御返事』に、「日蓮がたましひ(魂)を、すみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」(全集1124ページ)と仰せのように、日蓮大聖人の御命であり、御一身である。したがって、私達が、大石寺に登山して、御開扉を受けることは、日蓮大聖人にお目通り申し上げることである。

日蓮大聖人は『南条殿御返事』に、「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は、諸仏入定(にゅうじよう)の処なり。舌の上は転法輸の所、喉(のんど)は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人(にん)貴し、人貴きが故に所(ところ)尊しと申すは是なり…中略…此の砌に望まん輩は無始の罪障忽(たちまち)に消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」(同1578ページ)また、『御講聞書』に、「本有(ほんぬ)の霊山とは此の裟婆世界なり。中にも日本国なり。法華経の本国土妙・裟婆世界なり。本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」(同811ページ)等と仰せである。すなわち、多宝富士大日蓮華山大石寺は、現に日蓮大聖人のまします霊山浄土であり、私達の生命のふるさとなのである。「霊山に近づく烏は金色(こんじき)となる」と言われるように、総本山大石寺に参詣して、御法主上人のお許しのもとに、本門戒壇の大御本尊の御開扉をいただき、心から罪障消滅・信心倍増・一切無障礙の御祈念をするならば、総本山第26世日寛上人が『観心本尊抄文段』に、「この本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠(じんのん)の妙用あり。故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(文段集443ページ)と仰せのように、私達の過去世から現在に至る無量の罪業も、一切、皆、消滅し、現在・未来の所願ないし広宣流布の大願も成就するのである。
***********

罪障消滅についてですが、私達の苦しみは過去のから自らが行ってきた集大成(因)が現在の(果)として現れて、それを罪障消滅していかなければ真の幸福(成仏)は得られないのですが、まだ私はその途中経過です。
衣食住はそれなりに守られていますが、真言宗の害毒が病魔として現れていて苦しんでいますのでしっかり信心で乗り切っていきたいと思っています。
長文ですみません・・、通りすがりさんも解決したいことがあると思いますので、所属の指導教師であるご住職様に相談されまして、迷いから抜け出して下さいませ(^^♪
Posted by さくら♪ at 2015年11月01日 00:59
さくら様、こちらこそ返事遅くなってすみません。
丁寧にコメント有り難うございました。
御金言まで引用して頂いて、自分のようなものに恐縮な気分です。さくら様はすごいと思います。

結局のところ、難信難解という言葉にはがあるように信心は難しいものなんだなぁと感じました。
お忙しいところ、有り難うございました。
Posted by 通りすがり at 2015年11月05日 18:15
いえいえ、こちらこそ
有難うございますm(_ _)m

こうして質問を投げかけて頂けますと私の信心も深まります。

それに、私も迷いの命をかなり持っていますので、自分にも言い聞かせながらになり、全然すごくないんですよ(^^ゞ

でも、どんなに悩んで苦しくても、御本尊様を信じ、唱題、折伏に励めば、全てがうまく行っことだけは間違いないです!

通りすがりさんがおっしゃるように、難信難解だからこそ、猊下様、御住職様の御指南に沿って信心するのが正しい信心修行になるんですよね!

共々に頑張りましょうo(^▽^)o
Posted by さくら♪ at 2015年11月06日 18:51
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